論考2

昨日、昔考えた意識についての論考を投稿した.

で、また考えた.

池田晶子さんという哲学者がいた.彼女は自分にとって死は無いと言った.

死という概念は他人の死としては認識できるけれど、自分が死んだときには自分がなくなる(自分の意識がなくなる)のだから自分の死は自分には認識できないので、結局自分にとって「死は無い」と言える、と僕なりに理解したつもり.

「死」は「無い」のだ.無いものを怖がったりできないから死は怖くない、と言いたかったのかもしれない.彼女は病気のため50歳を待たずに亡くなった.若いころから短命を予期していたのかもしれない.それで死が怖かったのかもしれない.なので、死は怖くないと思いたくて、あのような理論を何度も繰り返し論じていたのかもしれない.かもしれないばかりだけれど、自分はそう想像している.

死は無いってどういうことだろうか.死んだ後のことをあれこれ想像するけれど、自分(意識)がなくなった自分の状態を想像できない.できるわけがないのだから.なくなった状態が死なのだから、死は認識できない.なので自分にとって、死は無い.言い方を少しずつ変えながら確認するが、やはり、そういうことなのだろう.気休めになるのかならないのか.


死は無いということは、まるで、ゼロをゼロで割っているような感じがする.

0÷0=?

You Tubeでこの計算について論じている人がいた.無限大だろうか?

いや違う.?に0を掛けたら0になる式に読み替えることができる.

あれっ?と彼は言う.なんでもありなのか?

死は無いと考えると、自分が死をどうとらえるかについても何でもあり、なのかもしれない.

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